■プロフィール
お名前: マイさん
ステップファミリー歴: 20年
ご家族の構成: 実父(58歳)、継母(52歳)、私、実妹(28歳)
経緯:6歳の時がんの闘病中だった実母と死別。父方の祖父母や叔父の家でお世話になりながら、11歳の時に父が再婚。12歳の時から継母との4人暮らしが始まり18歳高校卒業まで共に暮らす。私自身、現在は結婚して子どもが生まれている。
■ステップファミリーならではの経験、率直な実感を教えてください
最初だけうまくいっているように見えましたが、一緒に暮らすことは継母にとって相当なストレスだったようで、怒られる回数が増えました。私もちょうど思春期で、継母にあたることができる妹に、あたってしまっていました。
母は学校で起きたできごとを話さないと怒るので、話しても怒られないようなネタを学校で探すのが大変でした。一緒にいると緊張するので、学校から帰るのが憂鬱で自分の居場所はどこにもないと思っていました。
「あんたたちさえいなければ!」と叫ばれて、妹も私も「ごめんなさい」と泣いたことがあります。今だったら母も心が限界だったと思えるのですが、その時は絶望で自分を否定することしかできませんでした。
■親からの説明はどんなふうに?その反応は?
父は結婚相談所で何人かとデートを重ね、今の継母の前に別の女性と話が進んでいました。相手の女性にも子どもがいたので、その子にも会って一緒に遊び、「私に弟ができるのか」と思っていましたがいつのまにか破談。その次に会った女性が今の継母です。再婚前に父からは率直に「あの人と結婚してもいい?」と聞かれました。優しい女性だったのと私たちも“お母さん”が欲しかったのですんなり了承しました。
■家族の関係に変化はありましたか?
“お母さん”がきてくれたのに、私の思い描くお母さんではなくて戸惑いました。継母も思っていたような子どもではないことに困惑していたと思います。
お母さんという役割を期待しすぎてしまったし、母も一生懸命お母さんにならなければと思っていたことで、関係が最悪の状況になりました。その背景には、継母が父方の祖父母など周りの人から、「子どもたちの大学受験を成功させなければならない」などのプレッシャーを感じていたこともあると思います。継母の気持ちに親身に寄り添ってくれる人は一人もいませんでした。
■別居親・親族との関係や状況・思いを教えてください
学校の夏休み期間は主に父方の祖父母など親族の家で過ごすことが多かったので、その時は祖父母に甘えることができました。
当時、両親が海外に駐在していたため、私の大学在学時は継母の母(継祖母)の家に約3年居候させてもらいました。離れていてもよく国際電話で怒られ、自分を否定する癖がついてしまいました。周囲で起きた悪いことはすべて自分がいけないことだと思い、死にたいとずっと思っていました。毎回電話の度に胃がしめつけられるほど苦しかったです。継母から言われて傷ついたことなど、全部包み隠さず継祖母に話して受け止めてもらいました。
■周囲の理解やサポートはありましたか?
高校生の時は近い友人に話を聞いてもらい、大学の時は友人と母方の祖母(継祖母)に精神的支えになってもらいました。あとは妹の存在が大きかったです。想像を絶する辛さを共に乗り越える同士として強い絆で結ばれました。
そのおかげからか妹とは今でも同士のように仲が良く、なんでも言い合い、助け合える間柄です。
社会人になってからも自己否定の癖が抜けず、気分がジェットコースターのように上がったり下がったりでしんどかったため、2年ほどはメンタルトレーニングを受けていた時期があります。以前に比べて、だいぶ気持ちの浮き沈みが少なくなりました。
■これからステップファミリーになる人へのメッセージ・アドバイス
私はステップファミリーという言葉は社会人になってから知りました。
家族の役割を意識しすぎると私たちのようにうまくいかないかもしれないので、いろんな家族の形があると思って、気負わずに一緒の時間を過ごすことがいいのかなと思います。
人を頼ったり、同じような経験をした人の話を聞いたりするのもおすすめです。SAJでやっているLEAVESへの参加もお待ちしています!